アプリケーションノート

パワーインダクタの電流依存性を反映した等価回路モデルと進化する電源回路のシミュレーション

パワーインダクタは電源回路を構成する主要部品の一つです。DC-DCコンバータにおいては交流電流を抑制し、電流を平滑化する効果があります。ただし、直流電流の重畳によりインダクタンス値が変化するなどの電流依存性があるため、設計者の部品選定や設計の最適化を難しくしています。精度の良い設計を簡単に実現したいというお客様のご要望に対し、ムラタはパワーインダクタの電流依存性を反映した等価回路モデルを開発し、提供を開始しました。ここでは、シミュレーションへの適用事例とともにその概略を説明します。

パワーインダクタとは

インダクタは、用途に応じて大まかに電源系と信号系に分類されます。パワーインダクタは電源系に属する部品であり、DC-DCコンバータなどの電源回路において電流を平滑化するために用いられます。ムラタのパワーインダクタは工法によって巻線型と積層型がありますが、どちらも磁性体にフェライトを用いた製品です (図1) 。フェライトは酸化鉄を主成分とするセラミックスであり、磁気エネルギーを高密度に蓄える性質があります。この性質のおかげでフェライトを用いたインダクタは交流成分の透過性が悪くなり、ノイズ抑制や電流の平滑で大きな効果が得られます。ただし、フェライトには磁気飽和と磁気損失という特性があります。

磁気飽和は、外部から印加する磁界が大きくなると磁束密度が飽和して、磁気エネルギーの増加が頭打ちとなる状態です。フェライトの磁気飽和は、パワーインダクタの直流重畳特性に影響します。図2は1MHzで評価した直流重畳特性の測定例です。直流電流の増加にともない、インダクタンス値が低下する傾向が見られます。

一方、磁気損失はフェライトに蓄積された磁気エネルギーが熱エネルギーに変換されて失われる現象で、ヒステリシス損失や渦電流損失があります。電源回路においては振幅の大きい電流が流れるとパワーインダクタによる磁気損失が増加するため、効率が低下する要因となります。これらの点で電源回路の設計においてはパワーインダクタの電流依存性の反映が重要となります。

図1: パワーインダクタの種類

図1: パワーインダクタの種類

図2: 直流重畳特性の測定例

図2: 直流重畳特性の測定例

電源回路の設計における実情と課題

携帯電話やノートパソコンなど、電子機器の正常な動作には電圧変動の少ない電源回路が必要です。中でもDC-DCコンバータは従来のリニア方式からスイッチング方式へと移行し、小型・軽量化、高効率化が飛躍的に向上しました。しかし、最近はICの駆動電圧が低下する一方で、回路を流れる電流の増大が進み、パワーインダクタにおいても大電流への対応とさらなる小型化が要求されています。また、電源回路は小型化とともに効率が重視されるため、所望の効率を満足するための部品選定と設計の最適化が必要となります。図3はDC-DCコンバータの実験機による効率と実装するパワーインダクタの体積の関係をプロットした結果です。効率は出力電流を200mAに設定して測定しました。パワーインダクタは積層型 (LQMシリーズ、全18品種) であり、それ以外の部品はすべて同一です。この図から効率とパワーインダクタの体積がトレードオフの関係にあることがわかります。設計者はこのような事情を考慮した中で部品選定し、設計の最適化を行う必要があります。

図3: LQMシリーズ (全18品種) の効率と体積の関係

図3: LQMシリーズ (全18品種) の効率と体積の関係

設計の最適化はシミュレーションの活用が期待できる分野ですが、電源回路の場合は試行錯誤の実験で追求するケースが少なくないのが実情です。これは、パワーインダクタの電流依存性を考慮したシミュレーションが困難であり、効率の最適化において十分な計算精度が得られないからです。図4はこれまでにムラタのウェブサイトでダウンロード提供してきた従来モデルの例です。従来モデルは、LCRの受動素子のみで構成しており、直流が重畳しない場合の特性を基に作成しています。図5は直流重畳特性の測定値とシミュレーション値を比較した結果です。測定値では電流の増大とともにインダクタンス値が低下するのに対し、シミュレーション値では変化していないことがわかります。このように電流の依存性を反映しないモデルでは、電源回路の効率や応答特性のシミュレーションにおいて十分な計算精度が得られません。一方、設計の現場ではスピードと品質の両立が強く望まれています。これらを両立するにはシミュレーション精度を実用的なレベルに引き上げて、設計の手戻りや試作回数を減らすことが重要です。電源回路設計ではパワーインダクタが回路全体の性能に大きく影響しますので、電流の依存性を反映した等価回路モデルの開発が課題となっていました。

図4: 従来モデルの例

図4: 従来モデルの例

図5: 直流重畳特性の測定値とシミュレーション値の比較

図5: 直流重畳特性の測定値とシミュレーション値の比較

電流の依存性を反映した等価回路モデル

図6は今回提案する等価回路モデルの概略です。左側は直流が重畳しない場合の特性を反映した基本回路です。主共振の回路に誘導性と容量性の回路を追加することで、交流抵抗 (またはQ値) の周波数特性を補正しています。直流が重畳する場合はインダクタンスなどの特性が変化しますが、この影響は主共振と誘導性の回路におけるLとRを変えることに対応します。右側は電流によるLとRの依存性を反映することのできる等価回路モデルです。基本回路に電圧源モデルを追加した構成です。電圧源モデルは電流に依存して変化するLとRの影響を電圧に換算する素子であり、電流制御電圧源を用いています。電流制御電圧源はSPICE*1シミュレータで利用できるコンポーネントであり、回路に流れる電流を検知し、指定の関数を用いて電圧を計算する機能を持ちます。ここでは電流がゼロ (A) のときに電圧がゼロ (V) となる関数を用いていますので、電圧源モデルを無視した回路は直流が重畳しない場合の等価回路モデルと一致します。直流が重畳する場合は回路に流れる電流に応じて電圧源モデルの電圧が変化するので、動的で高精度なシミュレーションが可能となります。

図6: 提案する等価回路モデルの概略

図6: 提案する等価回路モデルの概略

なお、スイッチング方式のDC-DCコンバータではパワーインダクタに振幅の大きい電流が流れるので、フェライトの磁気損失が大きくなります。この損失を考慮するため、等価回路モデルのパラメータは実動作に対応した振幅の測定値に基づいて導出しています。

図7はパワーインダクタLQM2HPN1R0MG0 (1µH、定格電流: 1,600mA) の周波数特性に関するシミュレーション値と測定値を比較した結果です。インダクタンス (左) と交流抵抗 (右) はそれぞれ直流電流の増加にともない低下する傾向となりますが、シミュレーション値 (実線) と測定値 (破線) は何れも良好に一致していることが確認できます。今回の測定帯域 (500kHz-30MHz) における平均誤差は5%以下を達成しています。

図7: パワーインダクタの周波数特性

図7: パワーインダクタの周波数特性

DC-DCコンバータへの適用事例

次にパワーインダクタの等価回路モデルをDC-DCコンバータのシミュレーションに適用した場合の事例を紹介します。図8は比較に用いたDC-DCコンバータの実験機とシミュレーションモデルです。実験機のICはリニアテクノロジー社製のLTC3612であり、製品に対して提供される評価ボードを用いて実験しました。シミュレーションはLTspice*2を用い、ソフトに搭載されるICモデルと今回提案するパワーインダクタの等価回路モデルを組み合わせて実施しました。DC-DCコンバータは入力3.6V、出力1.8V、スイッチング周波数2MHzで動作するように設定しました。パワーインダクタはLQM2HPN1R0MG0を用い、出力電流を1-1600mAで変化させたときの効率とリプル電流を評価しました。

図8: DC-DCコンバータの実験機とシミュレーションモデル

図8: DC-DCコンバータの実験機とシミュレーションモデル

図9はパワーインダクタを流れるリプル電流の結果です。負荷抵抗を振って、出力電流が500、1000、1500mAとなる条件で比較しています。振幅の測定値は出力電流の増大とともに大きくなりますが、これは直流重畳特性によってインダクタンス値が低下するためです。従来モデルはインダクタンス値が変化しないため、出力電流が大きいほど差が顕著になりますが、今回提案する等価回路モデルは測定値と精度よく一致することが確認できます。右図は測定値とシミュレーション値の差を1周期で平均したときの結果です。出力電流が1500mAのとき従来モデルは約50%となりますが、今回提案する等価回路モデルでは2%以下となり、大きく改善していることがわかります。

図9: パワーインダクタに流れるリプル電流

図9: パワーインダクタに流れるリプル電流

図10は効率の測定値とシミュレーション値を比較した結果です。シミュレーションは今回提案の等価回路モデルと従来モデルの結果をあわせて示しました。従来モデルはこれまでウェブサイトで提供してきた電流依存性のないモデルです。直流電流が10-200mAの領域では従来モデルと測定値の差は最大で約7%となりますが、今回提案の等価回路モデルでは差が約3%に改善します。これは等価回路モデルによる磁気損失とリプル電流が実測に近づいたためと考えられます。

残りの差はパワーインダクタ以外の受動部品やプリント基板の影響と考えられ、これらの特性を精度よく反映することで、さらなる計算精度の改善が期待できます。

図10: 効率の測定値とシミュレーション値の比較

図10: 効率の測定値とシミュレーション値の比較

おわりに

今回提案した等価回路モデルは現在、全品種に適用してお客様に提供する環境を整えています。提供する等価回路モデルはお客様のシミュレータで動的に振る舞い、精度の良い設計を簡単に実現することに貢献します。また、ムラタはEDA*3ベンダとの技術連携も強化して、MLCCなどの膨大な部品データ群を一括して扱えるモデルライブラリの提供サービスを推進しています。

設計支援ソフトSimSurfing*4では、より一層便利に最新のデータを利用していただくことができます。アップデートした情報をタイムリーに提供することにより、お客様の製品設計における手戻りをなくし、TAT*5短縮とコスト削減に貢献していきます。

用語解説

*1 SPICE:

Simulation Program with Integrated Circuit Emphasis の略。電子回路のアナログ動作をシミュレーションするソフトウェア。

*2 LTspice:

リニアテクノロジー社が提供するフリーのSPICEシミュレータ。素子数に制限がない。

*3 EDA:

Electronic Design Automation の略。電子系の設計作業を自動化し、支援するためのソフトウェア、ハードウェアおよび手法の総称。

*4 SimSurfing:

ムラタHPでの製品検索機能やグラフ表示機能、シミュレーション機能を搭載した設計支援ソフト。データシートやSパラメータ、SPICE Netlistをダウンロード提供。
https://ds.murata.co.jp/simsurfing/index.html?lcid=ja

*5 TAT:

Turn Around Timeの略。企画・開発から製品化までの時間を表す。