戦後、米軍が開発した高性能、小型真空管はポータブルラジオに転用され、日本でも音楽を聞きながら街を歩く米軍兵士を見かけるようになりました。
それまで構造が簡単な並4ラジオ受信機に慣れていた日本人にとって、真空管は憧れの存在であり、何とか自分たちの手で作れないかと考えました。
ただ真空管は電池の消費量が多く便利なようで不便であることが分かりました。
この消費電力の問題を解決するため、トランジスタを使ったラジオの開発に挑戦したのが東京通信工業(現・ソニー)でした。1955年トランジスタラジオ「TR-52」「TR-55」が発売され、日本から米国へ輸出が開始。自動車、テレビ、ビデオなどその後、世界市場で「メイド・イン・ジャパン」の地位を確立する先駆けとなったのです。
そのトランジスタラジオのIFTを製造していたのが埼玉村田の前身である東光ラジオコイル研究所だったのです。