アプリケーションノート

「倒立振子制御」技術を応用した電動歩行アシストカーの開発

ムラタは、「ムラタセイサク君®」の「倒れない技術」を応用展開した電動歩行アシストカー「KeePace (キーパス) 」を福祉用具総合メーカー㈱幸和製作所※注釈と共同開発しました。「セイサク君の倒れない技術を人の役に立てたい」、そんな開発者の想いから電動歩行アシストカーの企画が生まれ、(株) 幸和製作所との協業により、この「KeePace」が誕生しました。高齢化社会を迎える中、ご高齢の方、足腰が不自由な方が少しでも遠くまで歩くためのアシスト機器として活躍できるものと期待しています。

「倒立振子制御」とは

ムラタでは、技術PRのロボットとして自転車型ロボット「ムラタセイサク君®」および一輪車型ロボット「ムラタセイコちゃん®」 (図1) を開発し、これまで製品の紹介と技術の可能性のアピールに活用してきました。

「ムラタセイサク君®」「ムラタセイコちゃん®」の一番のセールスポイントは、止まっても倒れない「不倒停止」、この機能を実現しているのが「倒立振子制御」です。「倒立振子制御」は、"手のひらに棒を立てる遊び"と同様の動き、制御です。手のひらの上に立てた棒は、何もしないとそのまま倒れてしまいます。倒れないようにするためには、倒れる方向に手を動かして、バランスを保っていく必要があります。

「ムラタセイサク君®」「ムラタセイコちゃん®」の場合、機器本体に搭載されたジャイロセンサが左右方向の角速度 (傾き) を検知し、傾く方向に胸の円板を回転させ、バランスを保ちます (セイコちゃんの場合、前後方向は車輪も制御) 。

Fig. 1 "MURATA BOY" and "MURATA GIRL"

図1:「ムラタセイサク君®」「ムラタセイコちゃん®

歩行補助機器の実状と課題

「倒れない技術 (倒立振子制御) をPRロボットに留まらず、人に役立つ機器へと展開したい」、そんなセイサク君開発メンバーの想いから、いろいろなアプリケーションへの展開アイデアが考案されました。

その中で注目されたのが、ご高齢の方や足腰の不自由な方の歩行をサポートする福祉機器として使用されている「シルバーカー」「歩行車」(図2) *1といった歩行補助機器でした。現在、これらの機器は、日本国内で年間約60万台生産されています (2011年) 。高齢化が進展する中、市場は拡大傾向にあり、2025年には、年間約130万台まで拡大すると予想されています (図3) 。

また、このような歩行補助機器は、日本国内に限らず、福祉機器への関心が高いヨーロッパを中心に海外でも盛んに使用されています。セイサク君開発メンバーのアイデアは、組織横断型の新規事業創出活動「MIRAI活動*2にてブラッシュアップされ、「電動歩行アシストカー」の企画が生まれました。そして、「シルバーカー」の国内シェア50%以上を誇る福祉用具総合メーカー (株) 幸和製作所との協業が始まり、「KeePace」が誕生しました (図4) 。

ちなみに、この「KeePace」は、「Keep」と「Pace」を合体した造語で、操作者の歩くスピード (ペース) に合わせて歩行をサポートする、という意味が込められています。

Fig. 2 A "Silver Car (on the Left)" and a "Walker (on the Right) "

図2:「シルバーカー (左) 」「歩行車 (右) 」

Fig. 3 Market Forecast for Walking Assist Equipment (in Japan)

図3: 歩行補助機器の市場予測 (日本国内)

図4: 電動歩行アシストカー KeePace™

図4: 電動歩行アシストカー "KeePace"

※注釈

(株) 幸和製作所:

大阪府堺市に本社を置く福祉用具総合メーカー。資本金は1億629万5,075円、従業員数は連結で461人 (2012年3月時点) 。
シルバーカーや歩行車以外にも、杖や入浴用品、排泄用品などの製造および販売を行っている。

用語解説

*1 「シルバーカー」と「歩行車」の違い:

シルバーカーは自立歩行のできる方を対象とし、買い物時の荷物の運搬や外出のサポートを目的に使用される。一方、歩行車は歩行に不安のある方が対象で、歩行訓練や身体の安定などのために使用され、歩行車に身体をあずけて歩くことができる。

*2 MIRAI活動:

MIRAIは、"Murata Innovative Research Activity Initiatives"の略で、ムラタ独自の組織横断型の新規事業創出活動のこと。

電動歩行アシストカー「KeePace」の特徴

大きさは、幅40cm、奥行25cm、高さ85cm (オレンジ) /95cm (黒) の2タイプ、重量は約10kgです。また、この「KeePace」の訴求ポイントは、「転倒防止」、「坂道操作」、「小回り/コンパクト」です。

転倒防止

従来の歩行補助機器では、操作者が地面の凹凸等でつまずいた際、機器が暴走・転倒し、操作者自身も転倒、ケガ (最悪の場合は骨折) をするといった危険性がありました。この「KeePace」には、「ムラタセイサク君®」「ムラタセイコちゃん®」と同様にムラタのMEMSジャイロセンサが搭載されており、それを用いた「倒立振子制御」により、機器の転倒を防ぎます。そのアルゴリズムを、図5で示すブロック線図を用いて説明します。ここでは、「KeePace」本体の重心位置の鉛直方向からの傾きを傾斜角度と呼び、その角速度を傾斜角速度と呼びます。

Fig. 5 Block Diagram of Inverted Pendulum Control for 'KeePace™'

図5:「KeePace」の倒立振子制御ブロック線図

Step1
ジャイロセンサにより傾斜角速度を読み取ります。また、傾斜角度演算部により傾斜角度も同時に演算します。
Step2
目標傾斜角度が傾斜センサおよび目標角度発生器により与えられます。
Step3
目標傾斜角度とStep1で演算された角度の差を角度ループ制御器で補償します。
Step4
Step3で演算された角度ループ制御器の出力が目標傾斜角速度となり、Step1で読み取った傾斜角速度との差を角速度ループ制御器で補償します。
Step5
Step4で演算された角速度ループ制御器の出力が主軸モータへのトルク指令となります。
図6: 操作原理

図6: 操作原理

このアルゴリズムを制御演算時間1ミリ秒で実行することにより、ほぼ直立な状態をキープすることができます。なお、これらの制御は右車輪、左車輪ともに行っています。また、この「倒立振子制御」により機器本体のハンドルを軽く押すと前進、引くと後進し、特にスイッチやレバ―などの操作指示機器を必要とせず、自然なインターフェースが実現できます (図6) 。

坂道操作

Murata Electronics Oy社製傾斜センサを搭載し、これを用いた制御により坂道での"らくらく"・"安全"操作を実現しています。この傾斜センサは、Murata Electronics Oy社独自のMEMS技術により

  • 高耐衝撃性 (>20,000G)
  • オフセット温度特性: 約0.5º
  • 低ノイズレベル、高分解能 (0.0025º)

などの特徴を有しています。

本センサの主な用途としては、建機や医療機器、航空機の計測システムなどがあります。例えば、上り坂にさしかかった場合 (傾斜センサが上り角度を検知) 、機器本体を進行方向に倒します。この動作制御により、操作者への力の負担が低減でき、"らくらく"と押し運ぶことが可能となります。逆に、下り坂においては、機器本体を進行方向と逆側に倒すことにより、一定のブレーキ作用がかかったような状態となります。これにより、操作者の歩くペースに合わせての"安全"操作が実現できます (図7) 。

図7: 坂道での動作原理

図7: 坂道での動作原理

小回り/コンパクト

独立2輪機構により旋回性能が高まり、小回りが可能となりました。回転径においては、従来の「シルバーカー」「歩行車」と比べ1/3以下となりました (図8) 。また、制御機器、駆動機構の最適設計により、コンパクトな筺体を実現、従来の半分以下の奥行を実現しました。

これまで、「シルバーカー」「歩行車」のユーザーは、狭い室内や店内での操作に苦労していました。また、エレベーターの中やレジでの行列の際、これら機器がスペースを取っているといったことに対する心理的ストレスも相当にあったとのことです。「KeePace」は、これらの課題の解決につながるものと考えています。

Fig. 8 Turning Circle for 'KeePace™'

図8:「KeePace」の回転径

おわりに

電動歩行アシストカー「KeePace」は、先の「CEATEC AWARD 2012」において、"スマート・キーテクノロジー部門"準グランプリを受賞しました (図9) 。

選考委員会の選評は「高齢化社会に向けた、きわめて実用的かつ社会的意義の大きな技術」とのことで、改めてその反響と期待の大きさに驚いています。世の中を見渡すと、「要介護者を支援する」もしくは「介護者の負担を減らす」ための介護ロボットは盛んに開発されていますが、「KeePace」のような「要介護とならないようにする」ためのロボットは、数少ないのが実状です。高齢化社会が進展する中、この「KeePace」は、寝たきりや車いす生活にならないように、つまり、より人間らしい生活を長く送るためのアシスト機器として活躍できるものと期待しています。

一方、実用化に向けての課題は山積状態です。特に、「安全性」「信頼性」をきっちりと担保していくことが喫緊の課題となります。また、ご高齢の方、足腰の不自由な方が使用されるということで「軽量化」も進めていかなければなりません。これら課題をひとつずつクリアしながら、「ムラタセイサク君®」の「倒れない技術」がもっと身近なところで活用してもらえるよう、開発を進めていきたいと思います。

Fig. 9 CEATEC AWARD 2012 Award Ceremony

図9: CEATEC AWARD 2012 授賞式
写真左: (株) 村田製作所 事業化担当者
写真右: (株) 幸和製作所 取締役 開発本部長