令和6年能登半島地震を乗り越えた
“One Murata”の総合力。
社是に込められた想いを、
行動力と絆に変えて

令和6年(2024年)能登半島地震により、ムラタの多くの関係会社が被災しました。生活することすらままならない状況の中、従業員一人ひとりが「自分たちに今、何ができるのか」を考え、結束し、他拠点での一時的な代替生産や生産再開に向けて取り組みを進めました。震災を乗り越えた“One Murata”の総合力を、ワクラ村田製作所(以下、ワクラムラタ)・穴水村田製作所(以下、穴水ムラタ)・村田製作所八日市事業所(以下、八日市事業所)のインタビューとともに紹介します。

ワクラムラタ/深センムラタ(中国)での代替生産プロジェクト

石川県七尾市石崎町にあるワクラムラタは、樹脂多層基板(メトロサーク)の製造および開発を行っている拠点です。震災で街全体が甚大な被害を受け、従業員が出社することも難しい状況だったため、深センムラタ(中国)で代替生産をすることに。日頃から連携・協力していた密な関係が、有事の際にも大きな力となりました。

ワクラムラタが立ち上がることで、地域に希望を灯したい

当時はどのような状況でしたか。

震災当時ワクラムラタ工場長の坪内
震災当時ワクラムラタ工場長の坪内
坪内:
自宅からワクラムラタへ向かう途中の道路は損壊し、至る所で道路にクラックが見られました。工場の床もひどいところでは液状化により約10cmもの段差ができており、工場内部の天井や壁の崩落、床の沈下など大変な状況でしたが、幸い設備転倒などはありませんでした。とはいえ、安全に仕事ができる状態ではなく、いつ復旧できるか想像もできない状況でした。事業部長が現地を視察した後、お客様と相談し、地震発生から4日後には深センムラタでの代替生産が決定しました。

深センムラタでの代替生産にあたり、苦労した点はありましたか。

坪内:
通常、代替生産を行う際には、お客様からの認定が必要になりますが、お客様も状況を理解してくださり、「設備で製品を流したときの評価結果が、ワクラムラタの過去データと同レベルであれば認定する」とのお話をいただきました。ワクラムラタの被災状況の心配までしていただき、代替生産に時間がかかるところを支援していただくなど、お客様には本当に感謝しています。

震災後、すぐに代替生産の体制に移行できたのはなぜですか。

坪内:
深センムラタでもメトロサークを生産しているので、震災前からワクラムラタと同じ設備を深センムラタにも展開していました。そのため、代替生産にあたって加工精度などに大きな懸念はありませんでした。ただ、深センムラタに任せきりにすることはできなかったので、大変な状況の中でも手を挙げてくれた5名の従業員が、現地のサポートなどのために中国へ向かいました。

震災前から、深センムラタとの間には協力関係があったのですか。

坪内:
もともとワクラムラタと深センムラタの間には、日常的に協力体制が築かれていました。たとえば、深センムラタでの製品不良率改善のために現地に出向いたり、合理化設備の展開支援を行ったり、逆に深センムラタからの改善提案をワクラムラタで展開したり。さらには、エンジニア育成のために深センムラタからの長期出張も受け入れていました。また、コロナ禍の非常時には、深センムラタの代わりにワクラムラタが生産を行ったこともあります。
お互いの拠点の強みをそれぞれに展開し合えるのがベストだと考え、 “手分けしている感覚”で密な関係を築いてきました。その関係性が、今回のスムーズな代替生産につながったと思います。結果として、代替生産を決めてから約2週間で出荷を実現することができました。

深センムラタとはどのようなやり取りがありましたか。

坪内:
深センムラタのメンバーからは、これまでの協力体制への「恩返し」という言葉をもらいました。今回の震災では、代替生産に加えてお客様への供給対応窓口も担ってくれたおかげで、私はワクラムラタの工場長として復旧対応に専念することができました。お互いを助け合える仲間がいることは、本当にありがたいです。
ほかにも復旧に向けてたくさんのムラタ拠点からの支援がありました。氷見村田製作所(富山県)からは、震災後の約2か月間、工場稼働に必要な用水を供給してもらったり、3月に操業を再開してから食堂が再稼働できるまでの約2か月間、従業員の弁当を提供してもらったりしていました。また、金沢村田製作所(石川県)には支援物資のハブ拠点として被災拠点のニーズを聞いて必要な物資を集めたり、現地まで輸送したりしてもらいました。
ムラタグループの仲間のことを思って一致団結した“One Murata”の総合力を実感しました。

震災を経て、学んだこと、強くなったことはありますか。

坪内:
復旧作業中、従業員が自律的に動いてくれて、目の前の状況が着実に良い方向へと変わっていくのを目の当たりにし、自然と涙があふれてきました。地震による大きなダメージはありましたが、「従業員同士の絆」は一層強くなりました。震災前よりもさらに良くなれる、そう感じています。

地域復興にも取り組まれているということですが、どのような想いがありますか。

坪内:
七尾市は漁業が盛んな街で、温泉も有名です。しかし、震災によって湾岸部の地形が大きく変わり、漁業の再開が難しくなり、住居や生活にも大きな影響が及びました。こうした厳しい状況の中、地元で雇用し事業活動を行っているワクラムラタが早期に操業を再開することに正直迷いもありましたが、地域にとって少しでも前向きな力になることを信じて、まずは拠点の再稼働を最優先に取り組みました。そうして震災から約2か月後の3月初旬に再稼働を果たしました。
自分たちが立ち上がることができたからこそ、今度は地域に希望を灯したい。従業員全員がワクラムラタに誇りを持って働いており、震災をきっかけにその想いは一層強まりました。
そこで、地域復興の第一歩として、ワクラムラタが所在する七尾市にお声がけをして地域復興に取り組みました。

地域復興では具体的にどのような活動をされたのですか。

坪内:
まずは、七尾市で地域復興を目的としたプロジェクトやイベントに協賛しました。その後、同じく被害の大きかった穴水町に所在する穴水ムラタと共同での地域復興にも取り組もうと考えました。この2つの市町をつなぐ「のと鉄道」様にお声がけをし、震災から全線復旧した1年後を目指して、トンネルのイルミネーションを2拠点の有志メンバーで企画し、デザイン・制作まで行いました。トンネルを通る地域住民の方々に向けてメッセージを発信することで、地域を元気づけたいという気持ちから出た行動でした。

ワクラムラタでは古くから地元密着、地域貢献の意識が根づいています。「そこにムラタがあることが、その地域の喜びであり誇りであるように」創業者 村田昭の言葉の通りです。

穴水ムラタ/八日市事業所での代替生産プロジェクト

石川県鳳珠郡穴水町にある穴水ムラタは、EMI除去フィルタ、インダクタ(コイル)を生産している拠点です。震災の影響で建屋や設備、周辺ライフラインが大きなダメージを受けました。穴水ムラタの生産品は車載比率が高く、またムラタ1社のみが供給するシングルソース品も生産しているため、お客様への供給影響を最小限に抑えるためには2か月以内の生産再開が必須という状況でした。ライフラインの復旧が見込めない中、穴水ムラタから設備や備品を全て搬出し、八日市事業所(滋賀県)で修復と生産体制を構築するという同時並行の活動を開始。ムラタ一丸となって困難なプロジェクトに挑みました。

<代替生産までの大まかな流れ>

代替生産までの大まかな流れ

大変な状況下でも一体感と気概を持ってメンバー全員が結束

【穴水ムラタからの設備搬出 ~ 八日市事業所での設備搬入・設備修理】

写真上段左から:床井(設備搬出の現場責任者)、太田(設備稼働のための調整や品質評価を担当) 写真下段左から:三宅(プロジェクト統括)、岡﨑(設備搬入後の修理やインフラ整備を担当)
写真上段左から:床井(設備搬出の現場責任者)、太田(設備稼働のための調整や品質評価を担当)
写真下段左から:三宅(プロジェクト統括)、岡﨑(設備搬入後の修理やインフラ整備を担当)
床井:
震災直後の建屋内は生まれて初めて見る光景で、言葉になりませんでした。震災発生時は休暇中だったため、工場内で被災者が出なかったのは不幸中の幸いといえます。どうにか出勤できたメンバーと各拠点からの協力者20名弱で倒れた設備を起こし、清掃をし……。停電で空調も効かない極寒の中での作業は、本当に大変でした。
自宅が被災した従業員も多くいましたが、全員が「自分たちが何とかしないといけない」「とにかくやるしかない」と一致団結。大変な状況下でも一体感と気概を持って結束できたことが、困難な状況を乗り越える力になったと確信しています。
太田:
普段の様子からは大きく変わり、先行きの見えない不安が広がっていました。「再稼働できるのだろうか」と不安の声も多く、緊張感のある日々が続き、誰もが気持ちに余裕のない状態だったと思います。全員が生活すること、生きることに必死な毎日でしたが、「今できることを全力でやろう」とひたむきに取り組みました。
穴水ムラタの当時の被災状況
穴水ムラタの当時の被災状況
三宅:
経営層から「穴水ムラタの復興のための費用は心配しなくていい」との言葉をもらい、「それなら全力で取り組もう」と決意しました。まずは、お客様にご迷惑をおかけしないように、納期から逆算して代替生産までの計画を立てました。不安が募る中、関係各所に多大なるサポートをいただきながら、着実に前へ進むことができました。
岡﨑:
設備を八日市事業所に無事に搬入できたときはほっとしましたが、設備を立ち上げてからの最初の1か月間は試行錯誤の連続。急なスケジュール変更やトラブル発生でリカバリー対応に追われるなど、今思い出しても本当に大変でした。それでもメンバー全員が「何とかしないといけない」という想いで、情報が少ない中でもみんなで知恵を絞り出し、とにかく必死に取り組んでいたと思います。
また、八日市事業所と穴水ムラタは普段からつながりがあったこともあり、現場のメンバーは「穴水ムラタの力になりたい」と前向きに対応してくれました。
1.5か月というスピードで代替生産できたことには本当に驚きましたし、「ムラタの力はすごい」と改めて感じました。

オールムラタのチームワークで成し遂げた代替生産

【八日市事業所での工程立ち上げ】

写真上段左から:大泉(プロジェクト統括)、新谷(工程立ち上げを担当) 写真下段:松山(生産管理、資材管理の仕組みづくりを担当)
写真上段左から:大泉(プロジェクト統括)、新谷(工程立ち上げを担当)
写真下段:松山(生産管理、資材管理の仕組みづくりを担当)
新谷:
「できることは何でもやるよ」と、いつも気にかけてくれていた八日市事業所メンバーの全面的なバックアップ体制は本当に安心感につながりましたし、穴水ムラタのメンバーも「自分たちの工場のことなので何とかしたい」と他人任せにはせず、それぞれが主体性を持って取り組めたと思います。「生産は誰一人が欠けてもできない」ということを実感しました。
大泉:
進捗把握のため密に情報交換をしていましたが、日を増すごとに、代替生産という一つの大きなプロジェクトに向かって「みんなでやっていくぞ」という絆が生まれているように感じました。一体感がすごかったです。大変ではありましたが、プロジェクトを通して「お客様にムラタの製品をきちんと届けたい」というメンバー全員の熱い想いを感じました。
松山:
今回の経験を通じて、組織や拠点を超えたオールムラタのチームワークを感じることができました。オールムラタの全機能が一丸となり、「やってやろう」という想いが伝わってきました。代替生産の成功は、ムラタの総合力の賜物だと思います。
2024年6月17日に穴水ムラタが操業を再開
2024年6月17日に穴水ムラタが操業を再開

社外からも高く評価。困難を乗り越え生産継続を実現したムラタの総合力

穴水ムラタの代替生産プロジェクトはお客様からも高く評価され、ゼネラルモーターズ社の「第33回サプライヤー・オブ・ザ・イヤー」において、ムラタ初となる「オーバードライブ・アワード」を受賞しました。甚大な被害を受けながらもお客様に密なコミュニケーションと迅速なサポートを行い、ゼネラルモーターズ社の生産継続を支えた点が高く評価され、強い信頼を築いた結果の受賞でした。

お客様の生産停止を回避するために、競合他社による代替品番の提案にまでムラタが踏み込んだことには、ゼネラルモーターズ社からも多くの感謝の言葉をいただきました。これらの評価は、グローバル営業チーム・穴水ムラタ・八日市事業所などの代替生産拠点や事業部門が“One Murata”の精神と総合力で困難を乗り越え、生産継続への支援を実現した成果の証であり、社是にある「信用の蓄積につとめ」を体現したものといえます。

受賞に寄せて

Jantz

グローバル営業チーム

Jantz(アメリカムラタ)

2024年1月1日、令和6年能登半島地震の影響について一報を受け、日本にいる同僚のことを思い、仲間として何ができるかを考えました。その結果、最も重要なのはお客様とのコミュニケーションだと考えました。お客様へのこまめな状況報告、代替品番の提案や納入すべき製品の優先順位付けなど、基本的な対応を徹底しました。全ての関係者が“One Murata”として一丸となって取り組んだことで、お客様との信頼関係をさらに強化できたと感じています。ムラタの一員として表彰式に出席できたことを誇りに思います。今後もお客様とのパートナーシップを一層強化し、ムラタがモビリティ業界でも高く評価されるよう、微力ながら貢献していきます。

私たちムラタは、社是に込められた想いをDNAとして受け継ぎ、幾多の困難を乗り越え、今日の姿を築いてきました。今回の震災を乗り越えることができたのも、従業員一人ひとりに息づく社是の精神と“One Murata”の総合力があってこそ。令和6年能登半島地震で被災した経験と復興への想い、強い絆は、さらに次の世代へとつながっていきます。