Column

The Japanese Craftsman-Fusing Traditional Artisan Techniques with Cutting-Edge Technologies-

取材協力 和ろうそく職人 丹治蓮生堂 代表 丹治 潔氏

京都の和ろうそくの歴史は1000年に及ぶ。仏像や仏壇を優しく照らす、西洋ろうそくにはないその独特の性質が、途切れることのないニーズを生んできた。

工程はすべて手作業。融点が低く、常温で固まる木蝋 (もくろう) の特質を生かし、木蝋を練るところから和ろうそくとして形作るまで、一つひとつを素手で仕上げていく。非常に根気のいる作業だが、一切手を抜くことはない。

古 (いにしえ) より連綿と伝わる製法によって、和ろうそくの姿、炎の形、燃え方などが絶妙のバランスで仕上がる。1000年の歴史を刻む技術とはどのようなものか、4代にわたって和ろうそくを作り続けている丹治蓮生堂・丹治潔氏にお話を伺った。

すべてが自然、すべては手作業の鍛錬された技術、平安の余韻を今に伝える「和ろうそく」の世界

融点52度という木蝋を加工、手作業で作り込んでいく製造工程

日本には遠く平安時代から蝋燭 (ろうそく) が存在し、京都の和ろうそくは、およそ1000年の歴史があるといわれている。ウルシ科のハゼという植物の実から採る木蝋を原料とし、灯心といわれるろうそくの芯には、和紙とイグサの髄 (ずい) が使われている。これらすべてが、1000年前の日本にあった品物ばかり。和ろうそくは日本古来の技術の結晶であり、純国産で自然の材料だけを用いて、しかも手作りという手法を受け継ぎながら1000年の時を経たのである。

和ろうそくの原料であるハゼの実は、長崎県や愛媛県、和歌山県など、主に西日本で栽培されたものを使う。ハゼにはさまざまな種類があり、東日本と西日本の温度差によっても微妙に木蝋の特質が違うため、作る種類や使用個所によって使い分けされる。採取された実は3年間ほど寝かされてから、皮と種を取り除き、果実の部分が木蝋となる。栽培に手間がかかり、木蝋に加工する人たちも減少していることから、貴重で高価な原料となっている。

木蝋は常温で固形になるという特質を持ち、融点が約52度であるため、手作業での加工が可能。和ろうそくの製造工程は、「生掛け (きがけ) 」といわれる方法と「イカリ型」に流し込む方法の2種類。生掛けは、竹串に芯を差し、数本の串を右手で回転させながら溶けた木蝋を左手ですくって塗り込むように一層ずつ巻いていく。イカリ型に流し込む方法は、主に浄土真宗の寺院で使用する和ろうそくに用いられる。

溶けたろうを冷ましながらゆっくりと練り、程良い粘りが出たところで、木型に流し込んで成形。取り出してから削り出して形を整えていく。どちらも、和ろうそくとして完成するまでに10日ほどかかる。

すすは出るが油煙は出ない、貴重な材料だけに再生にも取り組む

和ろうそくと西洋ろうそくの違いは、まず素材にある。石油系の材料を使う西洋ろうそくに対し、和ろうそくは植物系の材料しか使わない。そのため、燃やしたときにすすは出るが、油煙が出ないという特徴を持つ。木製で金箔が施された仏像や仏壇がある寺院で使用する場合、この油煙が大敵で、木に油が染み込んだり、金箔を汚したりするため貼りかえなどの作業が必要になる。たとえ1本は高価であっても、メンテナンスを考慮すると、和ろうそくは寺院にとって必要不可欠な商品なのである。

寺院では、点火した和ろうそくを燃え尽きるまで使うことはない。仏事では経をあげる際に新しいろうそくを灯すが、経が終る頃に半分ほど燃えたろうそくは、新しいものに取り替えられる。使用後の和ろうそくは、5年分ほど蓄えられて回収される。高価な素材でもあり、もう一度溶かして再生される。製造時にも飛び散った木蝋は一粒たりとも無駄にはしない。現在の日本では、それだけ木蝋は貴重な存在となっている。

リサイクルするときに困るのが、異質のろうが混ざること。木蝋以外のものが混ざると融点が変わり、製造作業に支障をきたす。また、木蝋は産地と独自のブレンドで、各々固有の性質を持つため、同じ木蝋でも産地の違うものが混ざると炎に微妙な変化が生じるという。

木蝋の原料はハゼの実

ハゼはウルシ科に属する植物で、高さ7~10mになり、山野に自生する。葉は奇数羽状複葉で秋には紅葉する。実は大豆のような形で、木蝋を採るためには3年間ほど寝かせる。実全体の2割ほどが、木蝋として採取できる。

Mokuro wax, obtained from the fruit of the haze wax tree

棒型和ろうそくの生掛け (きがけ)

一般用の和ろうそくは、竹串に芯を差し、数本の串を右手で回転させながら、左手でろうを塗りつけていく「生掛け」で作る。仕上がりは白の棒状のろうそくになり、茶席用の数寄屋 (すきや) ろうそくも同様の方法で作る。芯にろうを塗りつけていくため、木の年輪のような断面になる。

The kigake method of making straight candles

イカリ型仕上げの上蝋 (うわろう) 作業

鋳込みという製法で作るイカリ型の和ろうそく。代々店に伝わる型を使用して、独特の曲面を出し、削り出して成形していく。仕上げには「上蝋」という作業を行う。木蝋を竹の棒で1時間ほど練り、空気を送り込みホイップ状にして白さを出す。そして、練り上がったろうを素手で表面に塗りつけて白いろうそくに仕上げていく。この後、温めた包丁で頭部と底部を切り揃える「口切 (くちきり) 」という作業を行い、注文に応じて朱 (赤色) にしたり、金箔を貼ったりして完成させる。

A final coat of wax to finish the ikari candle

ハゼの実から採る木蝋、芯に使う和紙とイグサ、全てが純国産で自然の材料のみ

日本古来の素材と技術を使用、真髄は燃やすことだけではなかった

芯も、和洋ではその形状と働きが大きく異なる。ろうそくは芯をろうの中心に埋め込み、芯の先に灯した炎によって液体となったろうが、毛細管現象で吸い上げられ、気化して燃焼することで燃え続ける仕組み。西洋ろうそくは1本の綿糸などをろうの中に埋め込み、その糸を伝ってろうが吸い上げられる。底辺に穴はあいているが、それは燭台 (しょくだい) にろうそくを立てるためのもの。

一方、和ろうそくの芯は、和紙で円筒を作り、その周りをイグサの髄で包んで巻いていく。芯の穴は製造時に竹串を使うことから必要なもの。しかし、なぜ糸ではなく、和紙とイグサなのか。昔の日本に糸がなかったわけではない。にもかかわらず、どうしてコストのかかる芯を作っているのか。

19世紀の英国の科学者マイケル・ファラデー (1791~1867) が、一つの答えを出している。1861年に彼がロンドンの王立研究所で行った講演をもとにした書物、「ロウソクの科学 (原題「The Chemical History of a Candle」) 」。科学書として世界的に知られる、歴史的なこの名著の中で、日本の和ろうそくの伝統的な技術を、科学者の観点から高く評価している。

ファラデーは、日本の和ろうそくを手にして、注目すべき特徴があると述べ、穴のあいた芯をもっていることを指摘した。和ろうそくは和紙で作った円筒によって、上から下まで芯に空洞ができている。その役割は通気孔であり、炎の中心部へ空気を送り込んでいる。酸素が助燃性を持つということは、19世紀の英国でようやく認識されたばかり。和ろうそくはそのずっと以前から、このことを利用していたということになる。

通気孔があることによってろうはよく燃える。さらに、和ろうそくは着火した直後と、30分後、1時間後で炎の形が変わる。空気の動きに応じて炎が揺れて独自の表情を醸し出す。ファラデーは、日本の和ろうそく職人たちが、この巧妙なメカニズムを経験的に作り出していたことに驚愕したのだった。

親から子へと受け継がれる1000年の技術、知恵と努力が和ろうそくを支えている

1000年にわたって受け継がれてきた技術は、今も親から子へと継承されつつある。丹治蓮生堂の創業は昭和10年 (1935年) 。先々代は9歳から和ろうそくの修業を積み独立、先代は16歳からその技術を継承し、戦中・戦後の動乱期を駆け抜けた。現代表の丹治潔氏は18歳から先代の教えを請い、今またその技術は4代目へと受け継がれつつある。

伝統工芸の技術は見よう見まねで体感して継承していくしか方法はない。そのためにはどうしても数年間の修業時代が必要となる。いわば収入がない不遇の時代を乗り越えなければ、伝統工芸の技術は培われない。それが大きなネックとなって、徒弟制度ではなく親子間で和ろうそくの技術が継承されてきた経緯がある。機械などを導入して作り方を変え、楽に大量に生産することも可能だというが、あえてその道は選ばない。

手間をかけ、一切手を抜くことなく、同じ製法で作り続ける。そのこだわりと信念は揺るぎない。すべてが非効率的に見えるが、技術の陰には先人たちの英知があり、その知恵と努力に深い思いを巡らさずにはいられない。

和ろうそくの芯

和ろうそくの芯は、イグサと和紙でできている。イグサは湿地帯や浅い水中に生える植物で、ゴザや畳の材料として知られている。芯は円筒形にした和紙に、イグサの茎の髄を巻きつけていく。西洋ろうそくはすべて糸芯であるのに対し、和ろうそくは和紙とイグサ。この点が大きな違いだ。

The wick of the Japanese candle