日本古来の素材と技術を使用、真髄は燃やすことだけではなかった
芯も、和洋ではその形状と働きが大きく異なる。ろうそくは芯をろうの中心に埋め込み、芯の先に灯した炎によって液体となったろうが、毛細管現象で吸い上げられ、気化して燃焼することで燃え続ける仕組み。西洋ろうそくは1本の綿糸などをろうの中に埋め込み、その糸を伝ってろうが吸い上げられる。底辺に穴はあいているが、それは燭台 (しょくだい) にろうそくを立てるためのもの。
一方、和ろうそくの芯は、和紙で円筒を作り、その周りをイグサの髄で包んで巻いていく。芯の穴は製造時に竹串を使うことから必要なもの。しかし、なぜ糸ではなく、和紙とイグサなのか。昔の日本に糸がなかったわけではない。にもかかわらず、どうしてコストのかかる芯を作っているのか。
19世紀の英国の科学者マイケル・ファラデー (1791~1867) が、一つの答えを出している。1861年に彼がロンドンの王立研究所で行った講演をもとにした書物、「ロウソクの科学 (原題「The Chemical History of a Candle」) 」。科学書として世界的に知られる、歴史的なこの名著の中で、日本の和ろうそくの伝統的な技術を、科学者の観点から高く評価している。
ファラデーは、日本の和ろうそくを手にして、注目すべき特徴があると述べ、穴のあいた芯をもっていることを指摘した。和ろうそくは和紙で作った円筒によって、上から下まで芯に空洞ができている。その役割は通気孔であり、炎の中心部へ空気を送り込んでいる。酸素が助燃性を持つということは、19世紀の英国でようやく認識されたばかり。和ろうそくはそのずっと以前から、このことを利用していたということになる。
通気孔があることによってろうはよく燃える。さらに、和ろうそくは着火した直後と、30分後、1時間後で炎の形が変わる。空気の動きに応じて炎が揺れて独自の表情を醸し出す。ファラデーは、日本の和ろうそく職人たちが、この巧妙なメカニズムを経験的に作り出していたことに驚愕したのだった。
親から子へと受け継がれる1000年の技術、知恵と努力が和ろうそくを支えている
1000年にわたって受け継がれてきた技術は、今も親から子へと継承されつつある。丹治蓮生堂の創業は昭和10年 (1935年) 。先々代は9歳から和ろうそくの修業を積み独立、先代は16歳からその技術を継承し、戦中・戦後の動乱期を駆け抜けた。現代表の丹治潔氏は18歳から先代の教えを請い、今またその技術は4代目へと受け継がれつつある。
伝統工芸の技術は見よう見まねで体感して継承していくしか方法はない。そのためにはどうしても数年間の修業時代が必要となる。いわば収入がない不遇の時代を乗り越えなければ、伝統工芸の技術は培われない。それが大きなネックとなって、徒弟制度ではなく親子間で和ろうそくの技術が継承されてきた経緯がある。機械などを導入して作り方を変え、楽に大量に生産することも可能だというが、あえてその道は選ばない。
手間をかけ、一切手を抜くことなく、同じ製法で作り続ける。そのこだわりと信念は揺るぎない。すべてが非効率的に見えるが、技術の陰には先人たちの英知があり、その知恵と努力に深い思いを巡らさずにはいられない。
和ろうそくの芯
和ろうそくの芯は、イグサと和紙でできている。イグサは湿地帯や浅い水中に生える植物で、ゴザや畳の材料として知られている。芯は円筒形にした和紙に、イグサの茎の髄を巻きつけていく。西洋ろうそくはすべて糸芯であるのに対し、和ろうそくは和紙とイグサ。この点が大きな違いだ。